「東洋思想と心理療法」研究会
Association for Oriental Philosophy and Psychotherapy
第4回研究会
2001年3月16日開催
会場:駒澤大学中央講堂
テーマ「日本の思想家と心理療法」
・一般演題・
「心理療法の場の性格について-わが国の宗教的風土からの理解-」
: 實川幹朗
「思想家としての藤田省三 -そのピエロ的修羅-」
: 辻 康平
「日本文化とユング心理学 -祖先崇拝は元型か-」
: 又吉正治
「大乗仏教思想に見出される精神分析的主題 -鈴木大拙の宗教観を媒介に-」
: 舟木徹男
「自閉症の関係障害臨床と『臨床の知』」
: 小林隆児
「京都学派の哲学と深層心理学
-宗教に対するアンビヴァレンツと近代の問い直し-」
:安藤泰至
・特別講演・
「西田幾多郎[行為的直観]概念の射程」
講師:中村雄二郎
・シンポジウム・
「和辻哲郎、廣松渉、橋田邦彦の思想と心理療法」
1.「和辻哲郎と人間のアイデンティティー -風土論を中心に-」
: 阿部 裕
2.「廣松哲学の精神医学への応用」
: 横山富士夫
3.「葬られた思想家-橋田邦彦」
: 下坂幸三
第5回研究会
2003年3月29日開催
会場:駒澤大学中央講堂
・一般演題・
「治療を守護するもの~日蓮大荒行のmethodに現れる鬼子母神像~」
: 戸田游晏
「真言密教における師について-『大日経疏』における阿闍梨を中心に-」
: 佐藤隆一
「多重人格と憑依に基づいた人間観の可能性」
: 實川幹朗
「西洋フェミニズムの日本化
~アニミズム・家族療法および男女共同参画社会の観点から~」
: 又吉正治
「漢方医学的発想の心理療法への応用」
: 賀陽 濟
「伝統医学的接近と語り」
: 北田志郎
・特別講演・
「韓国文化における情(Jeong)と恨(Han)」
講師:閔秉根
・対 談・
閔秉根 西園昌久
・講 演・
「戦後日本とアメリカニズム」
講師:吉見俊哉
第7回研究会
2005年3月19日開催
会場:駒澤大学大学会館246
特別講演Ⅰ
「ネイティブ・カナディアンの神迎えについて」
講師:塚本純久(かや医院研究部門)
司会:阿部 裕(明治学院大学)
特別講演Ⅱ
「イザナギ流祈祷について」
講師:松尾恒一(国立歴史民族博物館)
司会:佐藤 豊(防衛医科大学校)
教育講演
「伝統的治療と精神医学的治療 -癒しの文化性再考-」
講師:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:森山敏文(広尾心理臨床相談室)
シンポジウム
テーマ「シャーマニズムと心理療法」
演題①「神道におけるシャーマニズムと心理療法について」
シンポジスト:賀陽 濟(かや医院)
演題②「シャーマンの治病行為について」
シンポジスト:佐藤憲昭(駒澤大学)
演題③「社会病理と沖縄シャーマニズム」
シンポジスト:塩月亮子(日本橋学館大学)
指定討論:阿部 裕(明治学院大学)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
司会:本橋 弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
第8回研究会
2006年3月25日開催
会場:駒澤大学大学会館246
教育講演
「家」の思想をめぐって
講師:中村伸一(中村心理療法研究室)
司会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
特別講演
「生死の問題 -禅の立場からー」
講師:恩田彰(東洋大学)
司会:森山敏文(広尾心理臨床相談室)
シンポジウム
テーマ「死を語る」
「キリスト教の立場から」
シンポジスト:真崎隆治(明治学院大学)
「仏教の立場から」
シンポジスト:蓑輪顕量(愛知学院大学)
「神道の立場から」
シンポジスト:賀陽濟(西東京心理療法研究所・田無神社)
「精神医学の立場から」
シンポジスト:山田和夫(東洋英和女学院大学)
コメンテーター:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:阿部 裕(明治学院大学)
第9回研究会
2007年3月24日開催
会場:駒澤大学大学会館246
教育講演
「民間習俗にみる誕生・生育」
講師:松尾恒一(国立歴史民俗博物館)
司会:賀陽濟(西東京心理療法研究所・東京大学)
特別講演
「お産の歴史」
講師:吉元昭治(吉元医院)
司会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
シンポジウム
テーマ「出生と心理療法」
キリスト教(主にカトリック)の立場から
「いのちの尊厳とその恵み-キリスト教的観点からの一考察-」
シンポジスト:竹内修一(上智大学)
助産学の立場から
「女性に寄りそうことからみえるもの」
シンポジスト:岡永真由美(神戸市看護大学)
精神医療の立場から
「精神療法jにおける縁と未生怨について」
シンポジスト:高野晶(東京国際大学・公立昭和病院)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:阿部 裕(明治学院大学)
司会:森山敏文(広尾心理臨床相談室)
第10回研究会
2008年3月15日開催
会場:駒澤大学大学会館246
教育講演
「江戸の遊び」
講師:西邑桃代(NPO法人「日本の風」代表)
司会:賀陽濟(西東京心理療法研究所・田無神社)
特別講演
「子どもの世界・絵本の世界」
講師:きむらゆういち(絵本・童話作家)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
シンポジウム
テーマ「こころの中のこどもと遊び」
ユング心理学の立場から
「こころの中の恐龍・怪獣たち」
シンポジスト:弘中正美(明治大学)
保育実践の立場から
「幼児と過ごす生活と遊び」
シンポジスト:山田道子(こどもの城)
児童精神医学の立場から
「子どもの心の修復過程としての遊び」
シンポジスト:齊藤万比古(国立精神・神経センター)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
司会:佐藤 豊(防衛医科大学校)
第11回研究会
2009年3月21日開催
会場:駒澤大学大学会館246
教育講演
「老荘とその周辺」
講師:吉元昭治(吉元医院)
司会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
特別講演
「中島敦の文学に見る老荘思想」
講師:ポール・マッカーシー(駿河台大学)
司会:賀陽 濟(西東京心理療法研究所・田無神社)
シンポジウム
テーマ「老荘思想とひきこもり」
「Egoなしの心理療法は可能なのか?」
シンポジスト:ジェリー・クスマノ(上智大学)
「老荘思想と心身実践」
シンポジスト:廖赤陽(武蔵野美術大学)
「心が閉じる局面と治療関係―引きこもりケースの精神療法より―」
シンポジスト:近藤直司(山梨県立精神保健福祉センター)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
第12回研究会
2010年3月13日開催
会場:駒澤大学中央講堂
教育講演
「日本の家族、米国の家族そして家族療法」
講師:中村伸一(中村心理療法研究室)
司会:佐藤 豊(防衛医科大学校)
特別講演
「アイヌ民族と共同体 ―アイヌ民族の方をお招きして-」
講師:宇井眞紀子(武蔵野美術大学)
講師:島田あけみ(「アイヌウタリ連絡会」事務局長
「世界先住民族ネットワーク・アイヌ」事務局長
「ペウレウタリの会」 副会長)
司会:賀陽 濟(西東京心理療法研究所・田無神社)
シンポジウム
テーマ「集団と個、東洋文化そして心理療法」
「或るソーシャル・クラブでの対人恐怖者たち」
シンポジスト:高橋 徹(国土交通省本省診療所)
「個と集団のアイデンティティーの2層性
―自己確証モデル(石山)における「自覚」と「生きがい」について―」
シンポジスト:石山一舟(ブリティッシュ・コロンビア大学 東京大学)
「僧堂生活における集団と個」
シンポジスト:西田正法(大本山永平寺)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
司会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
第13回研究会
2012年5月26日開催
会場:駒澤大学中央講堂
教育講演
精神医学史における「物狂ひ」とその周辺
―狂気観の変遷と精神医学―
講師:小俣和一郎(上野メンタルクリニック)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
特別講演
「祭りと熱狂、狂いと日本文化」
講師:松尾恒一(国立歴史民俗博物館)
司会:賀陽 濟(西東京心理療法研究所・田無神社)
シンポジウム
テーマ「日本文化と物狂い ~日本文化は狂気をどうとらえたか~」
「物狂能について-能に描かれた狂気と憑依」
シンポジスト羽田 昶(武蔵野大学 能楽資料センター)
「日本のシャーマニズムにおける狂気について」
シンポジスト:佐藤憲昭(駒澤大学)
「魂鎮めと心理療法、神道の立場から」
シンポジスト:賀陽 濟(西東京心理療法研究所・田無神社))
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
司会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
第14回研究会
2013年6月1日開催
会場:駒澤大学中央講堂
教育講演
「日本における同性愛の歴史と現在」
講師:平田俊明(しらかば診療所)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
特別講演
「東洋的思想と森田療法-自然と人間の関係から考える」
講師:北西憲二(森田療法研究所・北西クリニック)
司会:阿部 裕(明治学院大学)
シンポジウム
テーマ「日本文化と性」
「性愛の歴史と民俗-祈りと苦しみと悲しみと-」
シンポジスト:松尾恒一(国立歴史民俗博物館)
「中世の性愛思想と神仏」
シンポジスト:伊藤 聡(茨城大学)
「道教の立場から―房中術とその歴史」
シンポジスト:吉元昭治(吉元医院)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
司会:森山敏文(広尾心理臨床相談室)
第15回研究会
2014年6月7日開催
会場:駒澤大学中央講堂
教育講演
「医療少年院の教誨活動」
講師:舘盛寛行(神奈川医療少年院教誨師
・梅宗寺副住職)
司会:大山みち子(武蔵野大学
・広尾心理臨床相談室)
特別講演
「罪と愛と恥」をめぐる話 ~内観の視点から~
講師:真栄城輝明(奈良女子大学・大和内観研修所)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
シンポジウム
テーマ「日本文化と性」
「精神分析における罪と恥」
シンポジスト:高野 晶(心の杜・新宿クリニック))
「親鸞における罪と恥」
シンポジスト:爪田一寿(武蔵野大学)
「世間体と恥意識」
シンポジスト:中村伸一(中村心理療法研究室)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:岡部 健(川崎市健康福祉局障害保健福祉部)
司会:森山敏文(広尾心理臨床相談室)
第16回研究会
2015年5月30日(土)開催
会場:駒澤大学 中央講堂
教育講演
「インターネットの普及による社会文化的な影響」
講師:宮本聡介(明治学院大学)
司会:阿部 裕(明治学院大学)
特別講演
「思春期の課題と病理」
講師:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
シンポジウム
テーマ 「大人へのイニシエーション ~現代の思春期を考える~」
指定討論:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
司 会:佐藤 豊(防衛医科大学校)
司 会:高野 晶(心の杜・新宿クリニック)
「若者組の近代 ~遊興と公共性と~」
シンポジスト:松尾恒一(国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学)
「大人になること ~浮世絵から見た江戸文化~」
シンポジスト:中城正堯(江戸子ども文化研究会)
「現代の思春期心性 ―宙ぶらりんの心理を中心に―」
シンポジスト:村松 励(専修大学)
第17回研究会
2016年5月28日(土)開催
会場:駒澤大学 中央講堂
教育講演
「アディクション治療における集団と個」
講師:成瀬暢也(埼玉県立精神医療センター)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
特別講演
「日米における治療共同体の集団の違い」
講師:中久喜雅文(聖マリアンナ医科大学・東京サイコセラピーセンター)
司会:森山敏文(広尾心理臨床相談室)
シンポジウム
テーマ 「日本文化における集団と個」
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司 会:佐藤 豊(防衛医科大学校)
司 会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
「禅の立場から」
シンポジスト:西田正法(明林寺)
「精神医学の立場から」
シンポジスト:鈴木 龍(鈴木龍クリニック)
「民俗学の立場から」『菊と刀』を再考する
シンポジスト:松尾恒一(国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学)
第3回研究会
2001年3月17日開催
会場:駒澤大学中央講堂
テーマ「日本の伝統芸能と心理療法」
・一般演題・
「水子の祟りの精神分析
-日本文化の心理療法への導入の試み-」
:又吉正治
「孔子と『古事記』の音楽思想と音楽療法との関連」
: 松本晴子
「歎異抄にみる受容について」
: 春木 豊
「歌舞伎と心理療法-その応用と効用-」
: 本橋弘子
・特別講演Ⅰ・
「落語のたのしみ」
講師:柳亭燕路
司会:大山みち子
・特別講演Ⅱ・
「芸能と精神療法」
講師:前田重治
司会:下坂幸三
・教育講演・
「私はどのように東洋思想を学んできたか」
講師:吉元昭治
司会:西園昌久
第2回研究会
2000年3月18日開催
会場:駒澤大学中央講堂
テーマ:「儒教思想と心理療法」
・一般演題・
司会:下坂幸三
「儒教学と心理療法」 発表者:辻 功
「僧侶から見た森田療法」 発表者:山本朴宗
「祖先崇拝と心理療法」 発表者:又吉正治
・特別講演・
「儒教の修養論」 ―宋・明時代を中心に―
講師:水野 実
司会:佐々木雄二
・シンポジウム・
司会:森山敏文・大山みち子
「心理療法家の心構えと『論語』の教え」:下坂幸三
「日本における心理療法の深化と儒教思想」:亀口憲治
「わが国の心理療法と儒教心性 ―形とこころ―」:西園昌久
第1回研究会
1999年3月20日(土)開催
会場:駒澤大学中央講堂
テーマ:「東洋思想を心理療法に活かす」
・特別講演・
Ⅰ「アメリカの心理療法に見られる東洋思想の一側面」
講師:渋沢田鶴子(コロンビア大学)
Ⅱ「日本ならびに中国古来からの『養生』-その背景-」
講師:吉元昭治(吉元医院)
・シンポジウム・
「神道と心理療法」:賀陽 濟
「世阿弥と心理療法の接点」:佐藤 豊
「仏教と心理療法」:遠藤義彦
「正法眼蔵の智慧と心理療法」:森山敏文
第6回研究会
2004年3月6日開催
会場:駒澤大学 大学会館246
教育講演
「ユタとノロの研究」
講師:松尾恒一(国立歴史民族博物館助教授)
司会:佐藤 豊(防衛医科大学精神科学教室)
特別講演
「私の演劇論」身体を通しての表現
講師:唐十郎(横浜国立大学教授)
司会:賀陽 濟(かや医院)
シンポジウム
テーマ「身体的な動きと心理療法」
演題①「からだ、アクション、そしてドラマへ」
シンポジスト:高良聖(川村学園女子大学)
演題②「武道の動きと生体現象」
シンポジスト:楠本恭久(日本体育大学)
演題③「静の選択と心の動き」―坐禅・経行そして日常―
シンポジスト:石井清純(駒澤大学)
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
司会:本橋 弘子(CLA湯島心理臨床研究所・下坂心理療法研究室)
活動記録
東洋思想とは本来われわれ一人一人がもっているはずのものです。したがって今回はレトロスペクティブな観点からあえて離れて現代的な二つの講演を企画いたしました。
ひとつは勧告のナショナル・アイデンティティの一斑をなしている「情と恨」について、啓燿医療財団神経精神医学研究所所長の閔秉根氏の特別講演ならびに同氏と本研究会顧問の西園昌久氏との対談を企画いたしました。
他は、東京大学社会情報研究所助教授の吉見俊哉氏の講演「戦後日本とアメリカニズム」です。
これは、今日の日本に浸透している広汎なアメリカニズムを認識することを通して、現代日本人の心性を照明しようとする試みに大いに寄与するものと思います。
一般演題は、年々質的向上を遂げてきました。今回も、多方面にわたる興味深い内容が展開されるはずです。
心理劇,芸術療法、行動療法はもちろんのこと、昨今では、言語による交流を中心的な方法論とする精神分析においても、身体的な動きをかつてよりいっそう重要な課題として議論の俎上にのせています。非言語的な心の動きは、当然のことながら身体的な動きとして現れやすいのですが、そこのところを「投影同一化」などの鍵概念を想定して「いま・ここで」あつかうのが現代精神分析の特徴といってよいでしょう。
今回は、東洋とりわけわが国における身体の動き(パフォーマンス)の特徴について、掘り下げてみたいと思います。教育講演では松尾恒一氏(国立民俗学研究所助教授)が、「ユタとノロ」について、貴重なビデオを通してご講演くださいます。ユタ、ノロとは今も沖縄、奄美に残る女性のシャーマンで、その祈りの姿は、日本文化の基層を考える上で欠くことができません。特別講演には「紅テント」の唐十郎氏(横浜国立大学教授)をお呼びし、「私の演劇論(身体を通しての表現)」と題して、ご講演いただきます。また、シンポジウムでは、斯界で活躍する演者に集っていただき、東洋と西洋の身体の動きについて議論していただく予定です。
WHOがスピリチュアリティ(霊性)を正式な用語として取り入れたこともあり,最近,徐々にではありますが,精神医学,臨床心理学において,シャーマニズムへの関心が高まってきています。今回は,ビデオ等を用い,具体的にシャーマニズムについて取り上げ,心理療法との接点を模索して行きたいと思っております。
特別講演のⅠでは塚本純久(いとく)氏が「ネイティブ・カナディアンの神迎えについて」,Ⅱでは松尾恒一氏が「イザナギ流祈祷について」,教育講演では西園昌久氏が「伝統治療と精神医学的治療-癒しの文化性再考」と題して講演いたします。
またシンポジウムでは「シャーマニズムと心理療法」についての考察をさらに深めて行きたいと思います。
「死」をめぐる問題は,心理療法においてきわめて重要なテーマですが,東洋思想は「死」についての豊かで深い思索に満ち溢れています。そこで,今回は「死」や「死生観」について論じ合うことを主題としました。
教育講演では中村伸一先生が“「家」の思想を巡って”と題して,特別講演では恩田彰先生が“生死の問題―禅の立場から―”と題して講演いたします。
またシンポジウムでは宗教各派の立場および精神医学の立場から「死」についての考察をさらに深めて行きたいと思います。
「生死」の問題は古くから、人にとって最も身近でありそれでいて不可思議なものでした。人は日常の営みから、またあるいは思想や宗教といった力を借りて、この一大事に取り組んできています。心理療法にとっても多くのテーマの背景となり、また根幹をなすものといえましょう。
今回は、昨年の「死」のテーマに引き続き、「生」のはたらきとしての「出生・出産」を話題といたしました。教育講演では民間習俗にみる誕生・生育を松尾恒一氏(国立歴史民俗博物館)に、特別講演ではお産の歴史にまつわる話題を吉元昭治氏(吉元医院)にお願いします。シンポジウムでは「出生と心理療法」について、キリスト教、助産学、精神医療の各専門のお立場からの発言をいただきます。今日、少子問題は社会の課題となっています。我々はどのように生まれ、いまここで五感を以て体験しているか、何を語り何を語らずにいたか、問い掛け続けることは、現世に生きるもの-自己—として、関わりの中で生きるものとして意味あることと考えます。
この数回に亘り、いわゆる「生死」にまつわる主題について、東西の宗教・哲学や医学、助産・看護学などさまざまな視座や切り口から扱ってきました。十周年を迎えるこの度の会合では、死、出生・出産に引き続いて、「生死」を越えて人を人として成す「はたらき」としての、「遊び」と「子ども」という主題に着眼し、「こころ」という視点を通じて論議したいと考えました。
「遊び」というと、あるときは「遊び心」を示し、「遊び人」を想わせます。そこには、「標準」と言う現実に縛られない、はたらきや存在を観ることが出来ます。子どもそのものを示す一方で、姿・形は大人でありながら、あたかも、子どものような行為、態度、心を示すこともあります。また「通人」のように凡俗の中での「遊び」の達人を示すこともあれば、聖や凡俗を越えたものを意味することもあります。
後者では、日本禅宗の良寛和尚(と貞心尼)の逸話が富に有名です。それは、手まりを用いて、子どもと遊ぶ良寛であり、自らが子どもとなり、手まりとなりそして遊びそのものとなっている姿です。それは「生死」や「主客」(手まり、良寛、子どもという区別・分別)という概念や固定観念にとらわれない融通無碍・自由闊達という境涯であり、一休禅師の「風狂」に通ずるものといえます。当然ながら、如上の見方は、多様な議論の一例に過ぎません。
さて、当日は、絵本・童話作家のきむらゆういち氏、江戸文化とデザインを研究されている西邑桃代氏をお招きし、ご講演戴きます。続くシンポジウムにおいては、三名のご高名な専門家に各々のお立場や領域からご発言戴きます。
当日参会されるあらゆる方々によって、如何に議論し語られるのか、如何なる方向を示されることとなるか、ともに期待したいと思います。
今回の研究会のテーマは、「老荘思想とひきこもり」です。
これまで本研究会では、儒教、道教をはじめに中国に端を発する思想は勿論のこと、韓国や本邦の伝統的な思想や思惟、哲学、宗教(死や生をめぐる)について、さらには、子ども、遊び、占いや儀礼などを通して、心の世界を広くとらえ、多くを学び、知識としてきました。そして、そこから心理療法の工夫に活かす為のもろもろのヒントやインスピレーションを得てまいりました。
今回のテーマとして、改めて「老荘思想」に着目することで、いささか語り尽くされた感があるものの「ひきこもり」という現代社会の話題をとらえなおすのは、第11回を迎えた今回にふさわしい話題であると思っております。
一見つながりを連想し難い両者ですが、講師やシンポジストの皆様に、それぞれがご関心のある専門領域についてお話をいただき、この難題に光を当てることによって、集う参会者各々が、そこから興味深く刺激を受けることができると期待しております。
シンポジウムのテーマにある「もの狂い」は、日常目にすることは少なく、また「狂気」ということばも、文学上の表現以外では、用いなくなって久しいように思います。
「もの狂い」の「もの」は、古語として「魂」や「霊」などを表すと言われていますが、現代の語感では、「もの」は、「見えない」こころ、よりも「見える」からだ、に近い印象があるようです。
元来「もの」、「こころ」、「からだ」には分別は無いのであり、さらに「狂気」も「正気」も両者を分類・分析する視点から離れて、同じところにあるもの、とすれば、どうでしょうか。一休禅師の「風狂」というのは、分別心を転じて、無分別とする「はたらき」そのものであり、「狂」という行為の中に、「こころとからだ」の分別を離れた、まことに自在な姿がある、とするものでしょう。
「狂」を「狂」としてとらえ、「常」を「常」としていくのは自然のあり方です。そしてさらに「狂気」の中に「正気」を見、同時に「正気」の中に「狂気」を見て取ることは、心理療法上で意義のある臨床的な態度である、と考えます。
今日あらためて、「もの狂い」ということに着目し、本邦においてはいわゆる「狂」というものをどのようにとらえてきたか、精神医学史や能、民俗学、宗教人類学などの側面から語り合っていただきたいと考え、今回の企画をいたしました。楽しみにしております。
心理療法において、治療者自身は元より、クライアントという「個」(という存在、はたらき)の中に「集団」を「観、とらえ、扱う」ことが、大事なことはいうまでもないでしょう。このばあい、集団は、個人に関わる「社会」(家族、仲間などといった、相互の有機的なつながりを持つ個の集合体)であり、個人の内的で且つ外的な「文化」(個人自身とこれに関わる家族や仲間の伝統・習わし・しきたり、宗教や信仰を含む)や「地域性(ローカリティ)」(どのような環境を選び、棲み分け、その中で生活しているかなど)、仏教でいうところの「山川草木国土」という意味の「自然(衆生)」を離れて語ることができないもの、ということがいえます。これは日常の体験の世界においても、同様です。
そして、このような「集団」(の存在とはたらき)の中にある、「個」を観ることを通して、「同時」にその「集団」について(主に心理療法上で大事な素材として)想像し考え続けることは、もう一方の要です。
個について考え、意識を向けていく時、「集団」は、あたかもその姿を失いますが、治療者の「個」の中に「集団」を観ていくという「観察」の工夫によって、集団と多様な形で関与している「個」の奥行きのある実体とそのはたらきが現前してくるといえます。このとき「個」を「個」として、徹底して理解し分析していくことは、心理療法の必要な条件で、これはこれで全うしていかねばなりませんが、一方、集団は集団として、そこに観察し体験できることを、尽くすことが重要です。
そして「個」は只集まることによって単純に「集団」となるのではなく、文字通り個々が西田幾多郎の云う、「非連続の連続」「同・一・多・異」という存在、はたらきそのものであります。十分な観察を通して、このような個と個の微妙なはたらきの中に、「集団」を見て取ることが出来る訳です。
さて、今回は、森田療法、日本人の対人恐怖心性の研究、禅の僧堂生活における修行とその指導、「家族」に関する治療と研究、といった立場や分野の方々によって、東洋における「個と集団」を視野に、もろもろと議論して戴く予定です。このようなテーマに関心を持たれる多くの方々のお出でをお待ちしています。
「性」を語らずして、「ヒト」という生きものとしての存在を説明することは難しい。我々の属している土着の文化、殊に人々の慣習や風俗に着目すると、「性」はまことに具象的で且つ多様な形を取って現れてくる。
さらに、ここにヒトの関係性という変数が加わると、実在としての「性」は、より明瞭になるだろう。個人間や個人内の、現象としての「性」のあり方、役割としての性、性愛的な身体性の問題、文化・社会的なセクシュアリティなど、多様でより抽象化された視座からの観察・分析が求められる。
今回は、性愛の歴史と民俗、宗教的な視点からの言及、道教の房中術といったところから、「性」について論議が行われる。
日常の生活空間の中で語られる「罪」と「恥」というコトバの概念。実際、多くのばあい、罪を意識し恥となる体験の過程、恥を隠して罪とする体験過程が複雑に絡みあって存在する。これらの体験過程は、個人の心理的な動因として、ヒトの生理的機能を始めに、あらゆる行為や行動、思考、思想、思唯などに重大な影響を及ぼし、作用する。時に信仰や芸術的な題材として。そしてこれまで、宗教、哲学はもとより法律や経済に至るまで、道徳、倫理的なテーマとして学問的な関心の対象となっている。
今回は、これらの概念が東洋とりわけ日本という土壌の中で、どのように現れ扱われてきたのかなどのメカニズムについて、主に精神分析の視点、宗教や宗教起源の療法、といった視座から、あらためて取り上げ解析する。
ヒトは、「子ども」は「子ども」として、「大人」は「大人」の分際として、生きながら混沌と安定の中を通過し、各々の人生を全うしている。このようなライフサイクルを連続している過程-子どもから大人へと物理的生物学的な時間の制約のあるものとして捉える考え方-と考えるならば、子どもはどのような機会を経て「大人」の姿へと変遷するのだろうか。
個としての私たちは、内なる思春期という心性を抱えながら、一方で「器」としての身体的な成熟期を迎えることになる。このような身心の微妙で且つ、至極動的な均衡の波を通過していく。あるときは記憶の中に残っている「子ども」世界を内省的に自覚しながら、それをあたかも実体験の「子ども」の如き姿として認識し、童心に還って「遊び」、そこから世界を視、感じ取る存在としての「子ども」体験をし直す。この身を感じ取りながら、現実の集団社会の中で、機会を経ては幾度となく「子どもから大人への変遷」という、いわば「遊び体験」を繰り返していく。
今回は、大人へのイニシエーション-現代の思春期を考える-と題して、現代社会の日本の文化の中で、思春期的な課題が「大人へのイニシエーション」と結びつきながら、どのように現れ扱われてきているかについて、精神医学、民俗学、心理学など、さまざまな観点から分析し直していきたい。
集団と個である。日本文化の中では、「個」という存在に先んじて、おおよそ、「集団」というものに重きを置く傾向があるようだ。そして、我々の意識というものが、「個」の中へとエネルギーを向け、求心していこうとするとき、「自己」が認識され形成されていくが、同時に他者としての「集団」という存在を意識し、対象化しはじめることによって、いわゆる「自己」に対して「他己」が認識され形成されるのだろう。
集団というものが構造やシステムを持ち、単なる無関係で素朴な集合体から、意味のある集団へと「社会化」していくとき、個と個の間を連絡する直線的な「関係性」というものが、その前提として考えられるだろう。「関係性」というのは、個と個の相互作用として現れるが、そこには個のはたらきが現前している。各々の個のはたらきによって、関係の全体性が生まれると言ってよい。これらは、ひとつひとつ見ていけば、非意図的で偶発的な関係であったり、予め意図された関係であったりと、様々である。日本という自然的な規定性の影響下では、日本文化という全体・社会は即ち個のはたらきの現れであり、個のはたらきそのものであるといえる。同時に、個のはたらきのダイナミックな集合体である。
両者を解析するならば、このようではあるが、翻って直観的な体験の世界から見るならば、どうであろう。個のときは個ばかり、集団のときは集団ばかりとして現前する。個のときは集団は隠れ、集団を見るときには、そこに個はない。両者に関連はないわけではないが、これが集団と個を把握する際の一例であろう。
もうひとつ。個のはたらきは、身体・肉体という有限性によって、大いに制約を受けるだろう。つまり、身体・肉体のはたらきは、即ち全体としての個のはたらきを左右すると言える。このような個の限界を自己認識することは、集団の決めごと、決まりごとやルールと相俟って、「適応」の形や様式を形作ることにつながる。
今回は、「集団と個」について、民俗学、精神医学、宗教学といったもろもろの視座から解析・分析を行うことになる。教育講演、特別講演を通じては、日米の治療共同体の違い、昨今何かと話題になっているアディクションの治療について言及する。
第18回研究会
2017年5月27日(土)開催
会場:駒澤大学 中央講堂
教育講演
「家訓の歴史的変遷と現代的意味について」
講師:米村千代(千葉大学)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
特別講演
「江戸時代における親子関係と子育て――母子絵を手掛かりに」
講師:太田素子(和光大学)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
シンポジウム
テーマ 「日本における家族のゆくえ」
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司 会:佐藤豊(防衛医科大学校)
司 会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
「仏教活動を通じた家族との関わり」
シンポジスト:西田正法(明林寺)
「家族療法事例からの考察」
シンポジスト:中村伸一(中村心理療法研究室)
「非行臨床から見た家族のゆくえ」
シンポジスト:村松励(専修大学)
今回のテーマは、「日本における家族のゆくえ」である。少なくとも我が国では、近年、家族のありようが変わってきていることは、疑いがないように見える。しかし、かつてはどのようであったかは、案外不確かであり、何が変わり何が変わっていないのかを知ることは、一筋縄ではいかないのではないか。個人の体験や身近な伝聞、あるいはマスコミや公的機関の発表をそのまま受け止めるのではなく、着実な研究の手法や独自の切り口を持つ方々から、知見を得ようとするものである。それによって、現在の家族やその成員である個人、その集合である社会を知るよすがとし、さらにはそのゆくえを眺めやることを試みたい。今回は時代を遡り、家訓・母子絵などに現れる先人の家庭を垣間見、シンポジウムでは禅・家族療法・非行などの話題を得て、今そして明日の家族に関わる糧としたい。
第19回研究会
2018年5月26日(土)開催
会場:駒澤大学 中央講堂
教育講演
「『こころの構造』と精神現象――仏教の視点から」
講師:広沢正孝(順天堂大学)
司会:中村伸一(中村心理療法研究室)
特別講演
「身近な言い伝えと心意現象」
講師:常光徹(国立歴史民俗博物館名誉教授)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
シンポジウム
テーマ 「こころの迷いと宗教」
指定討論:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)
司 会:遠藤義彦
司 会:本橋弘子(CLA湯島心理臨床研究所)
「こころの迷いと宗教――歴史と民俗」
シンポジスト:松尾恒一(国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学)
「シャーマニズムと危機対応」
シンポジスト:塩月亮子(跡見学園女子大学)
「日本人の晩年の迷いと宗教観をめぐって――内因性精神病の諸症例を通して想うこと」
シンポジスト:広沢正孝(順天堂大学)
第20回研究会
2019年5月25日(土)開催
会場:駒澤大学 中央講堂
テーマ:「江戸の暮らしと養生」
教育講演
「仏教における心の諸相―跳ね回る心と清らかな心―」
講師:石井公成(駒澤大学)
司会:遠藤義彦
特別講演I
「忠臣蔵と芭蕉」
講師:海野弘(評論家)
司会:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
特別講演II
「江戸時代の養生法―香川修徳を中心に―」
講 師:酒井シヅ(順天堂大学日本医学教育歴史館)
聞き手:大山みち子(武蔵野大学・広尾心理臨床相談室)
聞き手:中村伸一(中村心理療法研究室)
第20回は「江戸の暮らしと養生」が共通テーマです。江戸期は、「明治は遠くなりにけり」のさらに前の時代ではありますが、我々の祖父母の代では、その父母らによって現実の体験として語られる時代でもありました。では今回お招きした講師を順にご紹介します。まず駒澤大学の石井公成先生に「仏教における心の諸相」をお話しいただきます。仏教研究のテーマとしてものまねや聖徳太子なども扱う石井先生が説く「心」のありようをお楽しみください。続いての、海野弘先生の評論は、芸術・ファッション・サブカルチャーなど幅広い分野で、必ずといってよいほど行き当たります。一方、江戸シリーズの短編集には、平明な中に奥ゆかしい哀しみが描かれています。今回は、さらに趣き深く、忠臣蔵・吉良・芭蕉についての「旅」を、俳句を題材にお話しいただく予定です。最後に、医療史研究の酒井シヅ先生は、大河ドラマなどの医学考証で知る方も多いでしょう。これまでのご経験やご研究をお尋ねする機会としたいと思います。抗生物質も血液型も見出されない時代に、わが国での「命」の養いはどのようであったのでしょうか。(世話人 大山みち子)